台湾に移住して、現地のディベロッパーに設計士として所属しつつ、台中にてアートギャラリーを運営している木村一心 (きむらいっしん) さん。
台湾各地で手掛けた物件と連携し、展示やイベントを開催される一方、設計だけでなく建築の運営にまで関わり、国際交流によるまちづくりに挑戦されています。
そんな木村さんの目を通して触れる、台湾の建築、アート、デザイン。第二回目は台湾の歴史建築について、ご紹介します。
実践!木村一心の台湾でまちづくり。第2回 歴史建築編
こんにちは、木村一心と申します。台湾に7年住み、まちづくりに携わる仕事をしています。
リノベーション、歴史建築、地方創生などをテーマに、自身の体験を踏まえながら、台湾のまちづくりについて紹介していきたいと思います。
第1回リノベーション編では、どんな人たちがどのように古い建物を再生させているかを解説致しました。第2回は、歴史建築編というタイトルで、台湾の街の中に存在するたくさんの歴史的な建物を紹介していきたいと思います。
日本時代から残る歴史建築
台中市では、中区という地区に歴史的な建物が多く存在します。中区は戦時中、日本政府によって開発され、市役所や駅、警察署、公園などさまざまな公共施設が建設されました。
それら施設を中心に街が形成され、市街地として発展します。その時の建物は、今も街の中で数多く見ることができます。さて、それではなぜ70年以上も前の建物が現在もたくさん残っているのでしょうか。
老朽化により取り壊され、再建されるのが通常の流れかもしれませんが、多くの建物が残されている背景について解説していきます。
※1 台中州庁
https://travel.taichung.gov.tw/zh-tw/
再開発地域と行政機能の移転
中区の公共施設は、戦後日本人が撤退した後、新しい政府によって引き継がれましたが、車社会が到来し、都市が拡大していく中で、大部分の行政機関は再開発地域に移転されました。
残された旧行政施設は、次第にその役割を終えることになります。再開発地域と呼ばれるエリアは、中区から北西方向に広がっていきます。高層マンションが次々と建設され、2010年には巨大な新市役所(台中新市政大樓)*2 が誕生しました。
同じ時期に日本人建築家、伊東豊雄さんが設計を担当したオペラハウス(台中国家歌劇院)*3の建設がスタートしたりと、急速に街が発展していきました。
逆に中区では、建物の老朽化が進み、土地の価値は下がり、旧市街地と呼ばれるようになります。都市の玄関口でもある台中駅はそんな中区に位置しますが、駅を降りると、古びた建物とそこに移住してきたたくさんの外国人労働者を目にします。
私が9年ほど前に初めて台中に訪れ、駅周辺を散歩した時は、治安の悪そうな街という印象を持ちました。つまり中区は、都市が拡大する中で、街の整備や開発が一旦保留され、現在にまで至ったのです。
※2 台中新市政大樓
https://travel.taichung.gov.tw
※3 台中国家歌劇院
https://www.npac-ntt.org/index
新台中駅の誕生
私が台中に住み始めて数年はそんな環境が続きましたが、ここ2~3年でその状況もまた変わってきました。
最近で一番大きな変化は、台中駅に新駅舎*4が建設され、周辺の環境が整備されたことです。
日本時代からずっと使われてきた赤レンガの旧駅舎は、駅としての機能はなくなりましたが、同じ場所で保存されました。今でもほぼ現役の頃の姿を見ることができます。
歴史建築の再活用はこれまでも行われていましたが、台中駅が整備されたことによって、このエリア全体の価値は加速して高まりそうです。以降、中区の代表的な歴史建築をいくつか紹介していきたいと思います。
※4 新台中火車站
https://travel.taichung.gov.tw/zh-tw/
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実践!木村一心の台湾でまちづくり。第1回リノベーション編
台湾に移住して、現地のディベロッパーに設計士として所属しつつ、 台中にてアートギャラリーを運営されている木村一心 (きむらいっしん) さんが台湾の建築、アート、デザイン。第一回目は台湾のリノベーションと地方創生について、ご紹介します。
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