東京・青山そして台湾・台北にてライヴハウス・月見ル君想フを運営し、日中台間のライヴの企画・サポートを行う傍ら、音楽レーベル『BIG ROMANTIC RECORDS』を運営し積極的にアジアの音楽・文化情報を発信する寺尾ブッタさん。
そんな寺尾さんに、自身が台湾の音楽シーンに関わるようになってから、日台の交流がどのように進んできたか今日までの紆余曲折を大いに語っていただきます。
第1回目は台湾と関わるようになったきっかけとキーパーソン洪申豪について。
台湾音楽シーンとの出会い・衝撃
こんにちは寺尾ブッタと申します。
東京と台北で月見ル君想フというライブスペースを経営し、BIG ROMANTIC RECORDS(中国語だと大浪漫唱片)という音楽レーベルを運営し、日本と台湾の音楽交流のお手伝いをしています。
最近は大浪漫商店というレーベルショップをオープンして、レコードやカセット、グッズなどを販売しています。
台湾の音楽に携わるようになってなんだかんだ8年くらい経ちましたが、この8年間台湾と日本の音楽交流は少しずつですが確実に発展してきたと思います。
そして自分がどの様に関わってきたのかをこちらでじっくりご紹介していけたらと思います。
8年前といえば、まだ桃園空港から台北市内行きのMRTも開通していない時代。
国光バスに乗って深夜の台北駅に着いた時の空気感を思い出します。
今とそんなに変わらない感じもありつつ、今より少しだけ大らかだった様な気もします。
当時は日本と台湾の音楽シーンはもちろん交流もありつつ、お互いに好奇心を持っていながら、まだ相手のことがよく分かっていない、そんな感じだったと思います。
もちろん自分も右も左もわからないまま台湾に単身乗り込んで行ったのですが、その時長い間東京のライブハウスに関わってきた自分にとって、日本以外にこんなに面白い音楽シーン、特にインディーズシーンがあることが衝撃的で、長い間探していたものをついに見つけ出したというような興奮状態。
これを日本に紹介できたら、青山のライブハウスと繋げられたら面白いことになるだろうな、というワクワクでいっぱいで、とにかく自分がやれることを模索しながら想像しながら、寝る間を惜しんで街を徘徊していたのでした。
キーパーソン 透明雜誌 洪申豪(ホンシェンハオ)
そうして台湾のライブハウスに通う中でいろんなミュージシャンと知り合いましたが、中でも私に様々なきっかけをもたらしてくれたのは洪申豪(ホンシェンハオ)との出会いでした。
当時彼は日本のライブハウス界隈でも注目されていた人気バンド「透明雑誌」のボーカルでありソロとしても活動しているミュージシャンでした。
とても気さくで日本語も堪能で(当時の自分は拙い中国語で台湾の人とギリギリコミュニケーションをとれていたのですが…自分がそう思っていただけかも知れませんが。苦笑)彼とは中国語と日本語を織り混ぜて色んな話をすることができました。
自分がDIYで日本と台湾のシーンを繋げようとしていることを伝え、彼は台湾の現状のシーンに強く問題意識を持っていることを話してくれて、日本と台湾の音楽シーンの違いなどを色々語り合い、お互いに面白いことなら協力していこうと話しました。
そしてそれから、これらは2014年のことになりますが、
・東京の月見ル君想フでの向井秀徳さんとの共演
・青葉市子さんの台湾への初めての招聘
・洪申豪とSKIP SKIP BEN BENとして活動をしていた斑斑との東名阪カップリングツアー「台湾から来た二人」
・台北月見ル君想フOPENに合わせたキセルの台湾ライブ
これらの全てのイベントで彼をソロのアーティストとしてキャスティングしていたことは、日本と台湾のインディーズシーンに新たな話題を提供できたと思いますし、自身の会社としてもその後の台湾と日本の音楽交流活動に向けての大きな一歩を踏み出すきっかけとなりました。
透明雑誌オフィシャル(JAPAN)
https://twitter.com/touming_tour
BIG ROMANTIC ENTERTAINMENT
(大浪漫娛樂集團)
(label)
BIG ROMANTIC RECORDS / 大浪漫唱片
http://www.bigromanticrecords.com/
(music venue)
MOONROMANTIC AOYAMA / 青山月見ル君想フ
http://www.moonromantic.com/
(booking office)
ROMANTIC OFFICE / 浪漫的工作室
https://www.facebook.com/romanticoffice/
(music venue & restaurant)
MOONROMANTIC TAIPEI / 台北月見ル君想フ
https://www.moonromantictw.com/