
はじめまして。
南投県魚池郷の花音珈琲農園で働きながら、コーヒーロースター『いつか珈琲屋台湾焙煎所』を運営している近藤啓(こんどう ひらく)と申します。
この連載では、私が台湾と出会い移住に至るまでの経緯や、現在取り組んでいること、そして台湾コーヒーの魅力などについてお話ししていきます。
初回は私がどのようにして台湾と関わりを持ち、移住に至ったかをかいつまんでお伝えします。
日本での修行と、JCRCへの挑戦
私がコーヒーについて学び始めたのは、神奈川県平塚市にある「いつか珈琲屋」でのことでした。
ご縁があって店主の加藤日出夫さんから、コーヒーの焙煎を学ばせていただけることになり、お店に通うようになったのが始まりです。
焙煎とテイスティングを繰り返す中で、失敗の原因や焙煎の調整が味に与える影響を体で覚えていきました。
そんなふうにして焙煎の勉強をしていた2015年、全国のロースターが技術を競う「Japan Coffee Roasting Championship(JCRC)」の存在を知りました。
きっかけはいつか珈琲屋店主の加藤さんが競技者として参加したことです。
加藤さんは予選を勝ち抜き、決勝に進みました。最終的に加藤さんは惜しくも全国第8位という結果でしたが、その決勝の様子を見て次はぜひ自分も競技者として参加したいと思うようになりました。
そして2016年、JCRCに初挑戦。そこでなんと優勝という結果を手にします。

JCRC優勝後にいつか珈琲屋店内で。店主の加藤さんと私
前年に決勝へ進出した加藤さんが身近にいたこと、そして日頃から焙煎について学び合っていた全国のロースターの方たちと知識や情報を共有できていたことなど、恵まれた環境に支えられ、初出場ながら最高の結果を残すことができました。
夢のような出来事でしたが、それ以上に印象的だったのは、その先に待っていた「台湾との出会い」でした。
初めての台湾と、忘れられない空気
JCRCの優勝からほどなくして、「Taiwan International Specialty Coffee Association(TISCA)」が主催する国際焙煎大会に日本代表として参加する機会をいただきました。
それが私にとって初めての海外経験でもありました。
空港に降り立った時の暖かい空気と、多くのバイクが行き交う活気あふれた街並みが強く印象に残りました。
会場では言葉も文化も違う人々が、同じ焙煎というテーマで真剣に向き合っていました。
焙煎について語り合い、コーヒーを介して自然と心が通じていく。技術的な刺激ももちろんありましたが、なにより台湾の人たちの温かさと、新しい情報に対する積極さに感銘を受けました。
初めての台湾滞在を終えた帰りの飛行機で、「また台湾に戻ってきたい」と自然に思っていました。

TISCAの競技中の様子。残念ながら上位入賞することはできませんでした。
台湾で働くことを決める
話が遡りますが、2016年JCRCの予選を突破した私は、決勝準備の際、情報収集のためあるロースターを訪れた時に偶然、来日中の台灣咖啡研究室代表兼台湾コーヒー協会理事の林さんと出会いました。
当時はまだ台湾について深く話すことはありませんでしたが、後に私が日本代表として出場したWCRC(World Coffee Roasting Championship)の場で再会。ちょうどその頃ワーキングホリデーに興味があり、その事を伝えると「よかったら私のところに来ませんか」と声をかけていただきました。
台湾にもう一度行きたいという思いがあったのと同時に、その時世界大会に同行していた、いつか珈琲屋店主の加藤さんが背中を押してくれたこともあり、その場で台湾行きを決意しました。
2018年、30歳を目前に控え、ワーキングホリデーとして再び台湾の地を踏むことが決まりました。

WCRCの競技中の様子。世界第7位という結果でした。
台北で過ごした4か月と、急な帰国
ワーホリ期間中は、林さんの会社に所属し、そこから派遣される形で台北市内にあるロースター「達文西珈琲」と、コーヒー生豆の輸入商社「聯傑咖啡」で主にロースターとして働かせてもらいました。

達文西珈琲にてエスプレッソについて教わっている時の様子
慣れない環境での焙煎は試行錯誤の連続でしたが、台湾のロースターたちの焙煎に対する考え方に多くの刺激を受けました。
英語はごく簡単な会話しかできず、最初は言葉の壁に戸惑うこともありました。
それでも、スタッフやお客様の温かくフレンドリーな対応に助けられ、拙い英語でも少しずつ意思疎通ができるようになり、日を追うごとに自然とコミュニケーションが取れるようになっていきました。

聯傑咖啡にて仕入れ検討用サンプルの焙煎を担当していた時の様子
そんな中、日本の師である加藤さんの体調が急変。
本来であれば1年間の滞在を予定していましたが、帰国を余儀なくされ、ワーホリ期間はわずか約4か月で終わることになりました。
やむを得ない事情ではありましたが、まだやり残したことが多い状態で台湾を後にすることになりました。
再び日本で、そして台湾へつながる日々
帰国後は加藤さんの想いを引き継ぎ、「いつか珈琲屋」を正式に継ぐことになります。
店を運営しながらも、台湾への想いは心のどこかにずっと残っていました。
そして2019年、南投県で開かれたコーヒー品評会「南投縣咖啡評鑑」のジャッジとして招かれる機会をいただきました。
ワーホリ期間中も台湾産コーヒーの品評会に参加させていただくことはありましたが、審査に直接関わるジャッジとしての参加はその時が初めてでした。
その品評会でボランティアスタッフとして参加していたのが、のちに妻となる高郁淳さんでした。
この出会いをきっかけに、彼女が運営する花音珈琲農園のコーヒーを「いつか珈琲屋」でも扱うようになり、台湾とのつながりが再び強くなっていきます。
コロナ禍で自由な往来ができなかった期間も、日本で台湾コーヒーをプロモートする企画や、台湾PCA(プライベートコーヒーオークション)へのジャッジとしての参加を通じて関係を続けていました。
そして2023年、「Best of Taiwan COE Pilot」に国際審査員として参加。

南投県で開かれた南投縣咖啡評鑑にて、生豆の鑑定をしているところ
台湾全土から集まった素晴らしいコーヒーを、世界各国の熟練したジャッジたちと共に味わい、評価できたことは、私にとって忘れがたい経験となりました。

「Best of Taiwan COE Pilot」表彰式でのネームカード
台湾移住、そして新たなスタート
2024年、妻との結婚を機に台湾への移住を決意しました。
日本の「いつか珈琲屋」は当時の共同経営者であった青山さんが引き継ぎ、私は台湾で「いつか珈琲屋台湾焙煎所(ituka coffee Taiwan)」としてのれん分けブランドを立ち上げました。
同時に、妻の花音珈琲農園でも日々の仕事を共にしながら、焙煎と農園の両側から台湾コーヒーに向き合う生活を送っています。
振り返れば、さまざまなご縁が重なって台湾と関わることになったのだとしみじみ感じます。そのひとつひとつの出会いに支えられ、今の自分があります。これまで関わってくださったすべての方々に、心から感謝を申し上げます。
次回は、そんな台湾で実際に暮らして感じた文化の違いや、コーヒーを通じて見えてきた台湾の魅力をお伝えします。